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​Ⅲ

「レディース・エン・ジェントルメン!皆様大変長らくお待たせいたしました。本日のメインショーの開幕です!」

 

 暗く長い長い曲がりくねった廊下を歩いた先の、両開きの大扉を抜けると、まばゆい照明がカタリーナを照らした。その光の強烈さに思わず顔を手で覆い隠す。

「そしてショーの主演を務めますのはこちら、期待の新人。花のように可憐で素朴な村娘、カタリーナ嬢です!」

「えっ、なに、どういうこと!?――きゃっ!」

 目がくらんでいるカタリーナは突如背後から羽交い絞めにされた。背の高い派手なコスチュームの女性2人が、腕の間でもがくカタリーナを無機質な瞳で見下ろしている。

 理解の追い付かない頭でぐるりと見渡せば、カタリーナのいる場所は円形のステージであることが分かった。その円周にはカラフルで大きな三角模様の壁がそびえ立ち、その壁の向こう、カタリーナの頭よりもずっと高い位置から、観客がぐるりと並んで座って彼女を見下ろしている。そしてその大勢の観客たちは、カタリーナを捕まえている女性2人と同じ、虚ろな目をしていた。

(気を付けろ、こいつら全員"ヤツ"の下僕だ)

 死神がこっそりとカタリーナに囁く。"ヤツ"って――?その正体について尋ねようとしたその時、"ヤツ"の方から姿を現した。

 パンッ、という何かが切り替わるような音と共に色とりどりの照明は消え、光はカタリーナともう1人の人物だけを照らした。明るい紫色にオレンジの縁取りの派手な燕尾服と、大きな青い羽根が揺れるシルクハット。革のロングブーツの高いヒールを鳴らしてこちらへ歩いてくる。姿にこそ身覚えはなかったが、その穏やかな笑顔を見てハッと閃いた。3人の中で、唯一自分の肩書しか明かさなかった男。

(もしかして、この人が"団長"さんなの!?)

 考えてみればこの空間はまさにサーカスで、彼の姿はその元締めといった出で立ちだ。カタリーナが正体に気が付いたことを悟ったか、目が合うなり彼は、口角を耳まで裂けんばかりにつりあげた。そして光の中でくるくると踊るように語り出し始めた。その仰々しい声は、部屋に入るなり響いてきたそれと同じだった。

「なんとも健気なこの少女は、大切な友人の結婚式のため、美しい花を摘みに森へとやってきました。けれどもああ、なんという神のいたずらか、不運にも嵐に巻き込まれ、この館に迷い込んでしまったのです」

(ケッ、何が神のいたずらだ)死神は心の中で毒づいた。

 団長が大げさに嘆いている間に、カタリーナを捕えている2人が、彼女の両手首両足首に、何か鉄の輪のような金具を装着し始める。

「なに!?やめて!」

 2人の力は予想以上に強く、もがいても一向に抜けられない。輪の金具の先には人の拳より大きいぐらいの鉄球が鎖で繋がれていて、見るからに不穏なそれはカタリーナの両手両足にしっかりとはめられ、さらには4ヵ所それぞれ別の鍵でロックされてしまった。

(重い……!)

 当然、両手首にはめられた重りのせいで上半身がつんのめる。だが思い切り力を込めれば動かせない重さではない。なんとかもがいて鍵を取り返そうとしたその時、ドンと背中を突き飛ばされた。

「きゃあっ!」

 地面に転がると思われたその身体は、バシャーンという音と飛沫をあげて水の中へ落ちた。カタリーナが鉄球に気を取られているうちに、地面の一部が四角形にばっくりと開いて、その中には仕込まれていたらしい大きな水槽があった。彼女はその中へ落ちたのだ。当然重力の法則に従って、重りを付けた彼女の四肢は沈んでいく。すると高い天井からたちまち鎖が下りてきて、2人の女性が慣れた手つきで水槽の上側、カタリーナが落ちた面の四隅を繋いだ。そして2人がカタリーナに取り付けた金具の鍵を水槽の中へ投げ入れると、水槽はどんどん鎖によって吊り上げられ、やがて団長たちのはるか頭上、どの観客席からも見渡せる位置で止まった。

(ど、どうしよう、このままじゃ溺れちゃう!)

 身体中の空気を逃すまいとカタリーナは口をしっかり結んだ。両手で抑えようにも、その両手は今水槽の底に沈んでいる。焦るカタリーナを尻目に、1人楽しそうな男は嘆き続けた。

「この館に迷い込んだ以上、ワタクシもアナタを殺さなければいけない。けれども安心してください、ワタクシはあの2人みたいに悪趣味じゃないですから。もっと刺激的でドラマティックなエンターテイメントに仕上げて差し上げましょう!」

 光が団長と、カタリーナがもがく水槽を照らす。

「彼女が挑戦するのは水中脱出マジックショー!鉄の重りを解除することが出来るのは、それぞれの別の形の4つの鍵のみです。水槽の底には様々な形の鍵がいくつか散らばっていて、もちろんどの錠前にも当てはまらないハズレもあります。さて、彼女は溺れてしまう前にすべての重りの鍵を解いて、大切なお友達のもとへ行くことが出来るのでしょうか!?――あっ、ちなみに今日が初舞台なので、失敗しても温かく見守ってあげてくださいね♪――それでは、イッツショーターイム!」

 団長が杖を振り上げると、無機質な観客席からわぁっと盛大な歓声が響いた。

 

(おい!パニック起こすなよ。冷静になれば案外何とかなるもんだ)

 

 どうやら死神はどこかに逃げ延びたらしく、姿は見えないが声だけが直接脳内へ響いてくる。

 

(水槽の床を見てみろ、落ちてる鍵の数は大した数じゃねぇ。ひとつずつ試せば開くはずだ、やってみろ)

 

 おそらく隠れながらではあるが、水槽の下からこちらを見上げているらしい。カタリーナとしては今すぐにでも飛び出してきて助けてほしかったが、ここにたどり着くまでに「面倒なことになるから、あの3人に存在を知られたくない」と死神が語っていたのを思い出し、ぐっとこらえる。

(絶対絶対、生きて帰るのよ……!)

 カタリーナは覚悟を決め、手元にあった近くの小さな鍵を掴んだ。そして左手、左足、右足、右手と試していく――開かない。それならば別の鍵を――……左手の鍵が開いた!

「おっと、早くも一か所解けましたね!ここまでかなり冷静ですよ」

 一歩自分に不利な状況になったというのに、団長は心底楽しそうにカタリーナの様子を実況している。

 焦りと闘いながらも冷静に努め、右手の鍵、右足の鍵もなんとか開錠した。しかし、どうしても左足の鍵だけが見つからない。

(どうして!?鍵はもう全部試したのに!)

 焦燥と呼吸が同時に限界を迎えそうになる。意識がぐらりとゆらいだ。

「さぁ、ラストひとつになりましたねぇ!ところが苦戦しているようです!果たして溺れてしまう前に生き残ることができるのかーー!?」

 

(くそっ、どうなってやがる)

 揺れるスポットライトを躱しながら、影に隠れ続ける死神は、周囲を観察し状況を打破する術を思案し続けていた。

 癪に障る笑顔でくるくると浮かれ続ける長身細身の男を憎々しげに睨むと、スポットライトに照らされて腰元が一瞬きらりと光った。

(……ん?)

 目を凝らすと、それは小さな小さな鍵だった。まさに今、カタリーナがもがきながら探しているそれと同じ形をしている。

(やっぱり、初めから脱出させるつもりなんてなかったんじゃねぇか!)

 チッ、と舌打ちをして、死神は水槽を見上げる。かろうじて意識は保っているものの、もはや鍵を探す気力は無いようで、口元を抑えて縮こまっている。

(お前がそう来るなら、これでどうだ)

 死神はスポットライトの隙間をぬって団長に近づくと、ライトに照らされる細長い影に潜り込んで、さらに彼に近づく――そして。

「――?」

 団長は一瞬の違和感を感じて辺りを見渡すそぶりをみせたが、気のせいだと思ったらしく再び水槽に向き直った。

 

(――どうしよう、もう限界……)

 左足の重りは無情にもピクリとも動かない。あともう少しで水の上の酸素に手が届くというのに。

(もう、ダメ……)

 カタリーナが諦めかけたその時。

 

(おい、おい!こっちだ!)

 死神の声が頭の中に響く。はっとして意識を戻し、辺りを見渡すと、水槽の底にひとつ、真っ黒な小さな鍵が落ちているのが見えた。

(もしかして、この鍵、死神さんなの!?)

(そうだよ!これが最後の鍵のはずだ、早く使え!)

 カタリーナはすぐさま黒い鍵を鷲掴み、鍵穴に差し込んだ。するりと、最後の重りを繋ぐ錠が開いた。一目散に、水面に向かってもがいた。

 

「ブラボー!見事無事脱出してみせた彼女に皆様大きな拍手を!」

 水面でゼイゼイと肩で息するカタリーナにスポットライトが集まり、無機質な観客たちからは盛大な拍手が送られた。水槽がゆっくりと元の場所――地面の下へ下降する。水面が地面と同じ高さまで来たとき、あの派手な女性2人組がカタリーナを地上へ引っ張り上げた。

「最後の1つが見つからないときはどうなることかと思いましたけど、いやぁ奇跡は起こるものですね!素晴らしい!皆様は本日奇跡の目撃者になったのです!」

 虚ろな目をした観客たちに団長は両手を広げ、カタリーナを殺し損ねたというのに、嬉しそうに声を張り上げている。そしてそのいやらしい笑みのまま、カタリーナを振り返った。

「いやぁ、殺し損ねちゃいましたね♡おめでとうございます。あなたの勝ちですよ。さぁ、豪華賞品として"生存ルート"をどうぞ!」

 団長が杖をくるくると回して振りかざすと、あの真っ暗な廊下を繋ぐ大きな両扉が開いた。

「――追ってこないの?」

 あまりの呆気なさに、カタリーナは思わず尋ねた。

「追いかけてほしいですか?」

 満面の笑みで返されて、カタリーナは首を左右に大きく振った。

「追いかけてあげたい気持ちもありますが、ショーを成功させた出演者を休ませてあげるのも"団長"としての務めですから♪つまり、面白いものを見せてくれたご褒美ですよ」

「あ、ありがとうございます…?」

 カタリーナは思わず礼を言ってしまったが、いつの間にか足元の影に戻ってきていた死神に、足の裏を小突かれた。

(バカヤロー絆されるな、アイツはお前を殺そうとしたんだぞ!奴の腰元にある鍵を見てみろ。奴は初めから、正解の鍵をひとつ入れてなかったんだ。初めから殺す気だったんだよ!)

 死神の言う通り団長の腰元には、上着で隠すように小さな鍵が提げられていた。

 死神は考えた。そのまま奪い取ってカタリーナに渡したのでは、彼女以外の侵入者である自分の存在がバレてしまう。そこで死神は彼の腰回りに忍び寄り、腰に提げられた鍵の形状を記憶し、自らが鍵に変身して水槽に入ることでカタリーナの窮地を救ったのだった。

「――あなたは、見た目じゃよくわからない人なのね」

「?そうでしょうか?」

 間の抜けたような表情から一転、キッとこちらを睨むカタリーナを見て、団長は不思議そうな顔をしていたが、そんなことはどうでもいい、という風に再びニヤリと笑った。

「ワタクシは楽しいことが大好き。ワタクシを楽しませてくれたあなたには、ひとときのご褒美をあげちゃいましょう♪とそれだけのことですよ。――そう、ひとときの、ですよ。また楽しませてもらいたくなったら追いかけます。その時は容赦しませんよ。……ああ、このやりとりもう飽きてきちゃいましたよ。ワタクシがまたあなたをステージに上げたくなる前に、さぁお行きなさい」

 ばいばーい、とどこまでも愉快そうに両手を振って、団長はカタリーナを大扉の向こうの闇の中へ見送った。

 

「よく生き残ったじゃねぇか。思った以上に肝が据わってるらしいな」

「ほんとに死んじゃうかと思ったわ……。でも、絶対に生きて帰るって決めたから……」

 濡れた身体を両腕で抱きしめるようにしてさすりながら、カタリーナは震えた声で言った。死神はそんな様子の彼女をほんの少し見直して、「これからもその意気で頼むぜ」と囁いた。

 

 

「……ライオネルさん。アナタあの娘に開錠のマジックとか教えてないでしょうね」

 館のどこかの闇の中、拳銃を磨くライオネルに対して団長が頬を膨らませた。ライオネルは気だるげにため息を漏らす。

「そんなことをして何になるというのかね。変な言いがかりは止めてくれたまえよ」

「何か特別な手段を使わなければ最後の一つは絶対解けなかったはず……」

 なにか腑に落ちないという様子の団長はうーんと唸りながら、部屋の中をカツカツ忙しなく歩き回っていた。

「いい歳をして負けを他人のせいにするなんて、大人気ないですねぇ」

 メネウスがレディ・ラベットを撫でながら鼻で笑うと、団長はキッとメネウスを睨んだ。

「負け?負けてなどいませんよ!ワタクシはエンターテイナー、ハラハラドキドキを提供するのが務め!今回は予想外の奇跡を披露することが出来て、かつワタクシも楽しむことができた。つまりは大成功、ワタクシの勝利なのです!」

 朗々と声をはりあげる団長にメネウスは顔をしかめ、「そういうことにしておいてあげましょうね」と傍らの大きな黒猫――レディ・ラベットに語りかけた。ラベットは気にも留めないという風に「にゃあ」と鳴くので団長が再びムスッと頬を膨らませ、メネウスとラベットをねめつける。やれやれ、とライオネルはかぶりを振った。

「あなたのやり口は回りくどいのですよ。あの娘ごときに時間をかける必要なんてないのです。私がさっさと処分してしまいましょう。」

 メネウスは抱えていたラベットを床に放つと、闇の黒の中に融けるように消えていった。

 

 

 

 

 

◆おまけ◆

 

メネウス:そういえば今回のあなたの出し物ですけど。

団長:何ですか。

メネウス:水中だとあの娘のスカートめくれますよね。

団長:はぁっ??

メネウス:そういう見世物だったんですか?

ライオネル:なるほど。君そういう趣味があったのかね。

団長:いやいやいやいや!違いますよ!誤解を与える表現はやめて頂きたい!

ライオネル:そういうことにしておいてあげよう。

ラベット:なーん(ジト目)

団長:その変質者を見る目を止めなさい!違いますからー!!

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