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 迂闊だった、迂闊すぎた。

 アールグレイ神父は己の不用心さを心の底から悔いていた。

 

 穏やかな日の午後、小腹がすいたが家におやつの買い置きもなし。いつも手作りのお菓子を出してくれる望は学校へ行っているし、ほんの少しだけならいいかと近所のお菓子屋まで散歩に出た。

 だがしかし、かくかくしかじかあって団長の罠にハマり裏路地に追い詰められ、今現在、お菓子屋の店員を人質に究極の選択を迫られている。

「さぁ、この方の命が惜しければ、大人しくワタクシのところへ来なさい。天使共を見限ってね!」

「神父様~!お願いします!まだ死にたくないです!」

 団長の傀儡たちに捕らえられた店員は情けない声で懇願する。しかしこの店員も実は、団長の部下の一人である。つまり狂言だ。

(くそっ、なんで俺がこんな情けない芝居を……いやしかしこれもご主人様のため……!)

 店員役の傀儡はどこか熱のこもった目線で団長を見やったが、鈍感なアールグレイには気付かれずに済んだ。

「さあさあどうするんです?ワタクシあんまり気が長い方じゃないって、あなたがよぉく知ってますよねぇ?」

 団長は人質に向かって鞭を振るしぐさを繰り返す。人質は興奮しないように必死で努めた。

「――!わかった、私はお前に従……」

 アールグレイが頭を垂れた、その時だった。

 

 

キュィイイン!

 

 

「!」

 耳を裂くような甲高い音が聞こえたかと思うと、身体が光に包まれ、全身が浮遊感に襲われた。そしてそれもつかの間、身体は突然地面に叩きつけられた。

 痛みに呻きながら身体を起こすと、そこは見知らぬ酒場だった。自分の身体は酒場のど真ん中に打ち捨てられていた。そして傍らには未だ気を失っている団長と、お菓子屋の店員の姿も。全ての視線が自分たちに集まっているのを感じる。

「おいおいおい、今日はいったい何だっていうんだ?勘弁してくれよ」

 酒場の静けさの奥から、ひときわ張りのある低音が響いた。カウンターから現れたのは少し強面の体格のいい男だった。エプロン姿のその格好から、おそらく酒場のマスターだろう。一瞬、店の照明に輝く頭頂部に目を奪われたが急いで目を逸らした。そうこうしているうちに、団長や店員も目を覚ます。

「な、なにがどうなってるんですか!?」

「それはこっちが聞きたいよ」

 マスターは突然の出来事にも関わらず、あまり動揺はしていない様子だった。「おーい、こいつらにも水をやってくれ」

「はーいただいま!」

 マスターの声に応えて水差しとコップを差し出したのは、若い娘だった。亜麻色の長い髪を肩の辺りで纏め、赤いワンピースを着ている。こちらも突然の出来事に取り乱すこともなく、にこにこと笑顔で水を差しだしてくれる。

「ありがとうございます。でも、驚かないんですか?突然見知らぬ人間が酒場に降ってきて」

 団長は一言礼を述べてから切り出す。しかしコップに口はつけない。

「そりゃ驚いたさ、最初はな。でも2回目となりゃな」

「2回目……?」

 マスターは振り返ってバーカウンターに視線を投げる。アールグレイ、団長、傀儡はマスターの視線の先を見やった。

「イーグル!?」

 そこには見覚えのある青い長髪の、女ともとれる様な美しい顔立ちの男が、憎々しげこちらを見ながら酒の入ったグラスを傾けていた。

「最悪、よりによってあんたかよ」

 早速の悪態にアールグレイは苦笑いをしつつも、安堵感の方が大きかった。

「他のみんなはどこに行ったんだ?」

「そんなの知らないよ!」イーグルは一気に酒を飲み干してカウンターに叩きつけた。「僕だって気が付いたらここにいたんだもん。ていうか、僕の愛しのホークちゃんどこよ?」

 ホークというのは、彼の双子の弟であり、唯一気の置けない相手だ。ホークがいないのなら、不機嫌なのは無理もない。

「なんだ、あんたたち知り合いかい」

「顔見知り~。マスターもう一杯」

 アールグレイを遮ってイーグルが答えた。しかもこの人のツケで、と指をさしながら。

「この人つったって、お前たち来たばかりで金も持ってないだろう」

「まぁ、そうだな」

 アールグレイの懐に入っている日本円を差し出してみたが、やはりこの世界の通貨ではないようだ。団長もその傀儡も、あいにく日本円しか持ち合わせがなかった(団長に至っては、カードしか持ち合わせていなかった)。

「ねぇお兄様、また私が出してあげますわ」

「あんたさっき出したじゃない!ねぇ~次はわたくしの番でしょ~」

「何よ図々しいわね、私がはじめに声をかけたのよ!」

 そうこうしている間にイーグルの周りには、彼に気に入られたいという女たちが壁を作っていた。

「安心して~僕お酒強いから。みんなから必ず一杯ずつ頂くからね」

 深刻な会話を交わすアールグレイたちを尻目に、黄色い悲鳴が響いた。

(ゴミ屑め……!)傀儡は思った。

 

「話を纏めると、お前たちには"もと居た世界"があって、何らかの原因で"この世界"に飛ばされてきた、と。そういうことだな」

「理解が早くて助かります」カウンターに腰かけた団長は、いまだ口をつけないコップのふちをなぞりながらため息をついた。

「ワタクシたちの方がいまだ混乱しているんですが」

「無理もない。ワシたちの方が慣れているさ。ここはいろんな人間が出会い別れを繰り返す宿だからな」

「ふぅん……」

 この場所は酒場であり、宿でもあるのだそうだ。アールグレイが辺りを見渡すと、先ほどまで驚きの視線を向けていた客たちは、もう既に自分たちの仲間と宴に興じている。大体が6人ほどの大所帯だ。泡立つ酒らしき飲み物を掲げて乾杯したり歌いあったりゲームをしたり、思い思いに過ごしている。ふと隣を見ると、団長はこの騒々しさにうんざりといった表情だ。

「奴らは"冒険者"と言ってな。依頼を受けて様々な場所に色々な仕事をしに行く連中なのさ」

「"冒険者"?」

「そうだ。だいたい6人ぐらいかな。チームを組んで、俺のところに届く様々な依頼を解決しに行ってもらう。それが彼らの飲み会代であり生活費というわけだ」

「なるほど、この世界でお金を稼ぐならそういう生き方もあるということですね」

 団長はふむ、と考え込んだかと思うとパッと閃いて傀儡の方を向いてにっこり笑った。

「あなた、冒険者になって一山稼いできてください」

「えええ!僕一人でですか!?」

「だめですか……?」

 団長が目を潤ませると、傀儡の表情が揺らぐ。

「一人で?やめときな。それにあんた、戦えるのかい?依頼の中にはモンスター討伐なんて危険なもんが山ほどあるんだぜ」

「大丈夫です、いけますよねっ」

 屈託のない笑顔と迷いなき声で返され、傀儡の心はすでに押し切られそうになっていた。

(あぁ、俺ご主人様に信頼されてる……)

「いやいや、一般人を危険に晒すわけにはいかない。それはダメだ」

 神父はずいと身を乗り出し提案を退けた。傀儡がこれみよがしに舌打ちをしたが、鈍感すぎる神父には効果ナシである。

「じゃあなんですぼうや、妙案でもあるのですか?」

「それは……」

 

 

「すみません!ここでお金稼げるって聞いたんですけど、本当ですか?」

 突然、酒場のドアが勢いよく開いた。その向こうの雨の中、ぼろきれ布を被った大男と、その肩には布地の少ないドレスを纏った小さな子供が抱えられていた。2人とも寒さで震え、大男の方は息も絶え絶えという様子だ。

「やれやれ、今日は一段と落ち着かない日だ。――おーい、ミルクもってこい!」

「はーい」

 マスターの掛け声に、娘はパタパタと奥へと引っ込んでいった。

 

「うわぁ~あったかぁい……」

 マスターの特性ホットミルクを味わって、アールグレイたちに挟まれて座る子供は心の底からほっとしたような声で笑った。大男もその巨大な体をタオルで乱雑に拭いてから、ホットミルクを飲み干すと、娘にお代わりを要求した。

「すまねぇな、こんな時間に」

「いやかまわんさ。こんな時間に来る場所だからな」

 マスターはツケだ、と一杯大男に酒を差し出すと、男は心底有難そうに酒を飲み干した。

「ねぇ、おじさん。"冒険者"になればお金を稼げるってホント?」

 子供はまっすぐにマスターを見上げながら、尋ねた。これにはマスターも少しばかり動揺して、尋ね返す。

「お前さんの力量によるがな。でもまたどうして」

「僕たち、お金が必要なの」

 子供はうつむき、マグカップのふちをなぞりながら言った。

「理由はあんまり言えないけど……生活するためのお金がどうしてもいるの。冒険者になればお金が手に入る、ってこの町の人にこの宿を紹介されたんだけど、そういうことでいいんだよね?」

 子供はずいッとカウンターから身を乗り出した。

「まぁまて、落ち着け。きみ、戦闘の心得があるのか?」

「俺がある」

 少し赤らんだ顔の大男が答えた。確かにその筋骨隆々とした肉体は、戦闘向きだ。

「俺がこいつを守る」

「僕だってサポートなら、少しぐらいは」

「しかしなぁ……」

 マスターはそれでも渋った。2人の冒険者というのはかなり珍しい。単純に、生存率が低いのだ。危険な依頼に出かけて行って帰ってこなくなった2人組をいくらか知っている。

「ねぇ、おねがい、僕たち行く場所がないの……お願いだから……」

 

「私が一緒に冒険者になろう」

 そう名乗りを上げたのは、アールグレイだった。

「は……?あなた、正気ですか?こんな見ず知らずの人間と?」

 目を白黒させる団長を尻目に、アールグレイの決意は固い。

「おそらく親父さんは、君たちが2人きりで旅立つのを心配しているのだろう。私たちだって金が必要なのは同じだ。それならば、2人より3人の方がまだ心強いだろう」

「ほんと……?だれかわかんないけど、ありがとう!」

 子供はアールグレイの腰に飛び着いて喜んだ。

「……ちなみに聞くが、他に着いて来たいやつはいるか?」

「いいえ」「嫌です」「ありえないね」

 3人から予想通りの返答を食らい、アールグレイは苦笑いするしかなかった。

「というわけで親父さん、それでいいかな?」

 マスターはうん、と一つ頷いてから、ほっとした声で言った。

「お前さんはいいやつだなぁ。まぁ大人が2人いればマシだろう。冒険者として登録しておいてやるぞ」

「ありがとう」

「ちなみに、だな」

 一転、威圧的なトーンになったマスターの声が轟く。

「うちの宿は冒険者登録してあるヤツにはベッドを貸してやるが、そうでないヤツは閉店したら追い出すんでそこんとこよろしくな」

「はぁっ!?ちょっと、そんなの聞いてませんよ!」

 団長をはじめ、冒険者になることを拒んだ3人がぶうぶうと文句を言いだす。先ほど2人が入ってきた時の外の様子を見るに、深夜に近い時刻だ。加えて雨の中、放り出されてはひとたまりもない。

「なぁに簡単なことじゃないか、お前たちも一緒に"冒険者"になればいい」

「さっきと言ってること違うじゃないですか!」

「さっきお前たちは6人に満たなかった。でも今は"金が欲しい"という目的を持った6人が集ってる。これは相当強いパーティになるぞ」

「そんなむちゃくちゃな……」

 げんなりする団長だったが、びちょぬれのぼろ雑巾のように駆け込んできた二人の姿を思い出した。とてもじゃないが、一瞬だったとしても、ああはなりたくない!

「わかった、わかりましたよ。登録すればいいんでしょう?ただしワタクシはあくまで参謀、知恵袋ですからね。危険なことは一ッ切、しませんからね!」

 ふん、とそっぽを向く団長に、大男はすまねぇと頭を下げた。

「ご主人様が仰るなら、僕は従いますッ!」

 団長が意見を変えるや否や、迷うことなく傀儡は意見を翻した。

(あれっ、あの2人いつの間に仲直りしたんだ?)団長の傀儡をあくまでもお菓子屋の店員としか思っていなかったアールグレイは首を傾げたが、まぁいつの間にかしたのだろうということで納得してしまった。

「さて、イーグルはどうする?」

「僕は嫌だね。誰かのために命を危険に晒すなんて、反吐が出る」アールグレイの問いに、イーグルはためらいなく言い放った。

「とんでもない。これは私たちのための行いだぞ?」

 アールグレイもまた、ためらいなくまっすぐイーグルを見て言い放つ。

「金も貯まるし、ともすれば元の世界に戻るための情報が手に入るかもしれない。それにお前の腕っぷしも思う存分振るえる。どうだ、濡れネズミになるよりましじゃないか」

 アールグレイは普段のイーグルの笑い方の真似をするようにニヤリと笑った。

 イーグルは、ほんの少しだけ呆気にとられたのを悟られないようにしながら、大きな声のため息をついた。

「あーーあぁ、なんだよ。僕についてきてほしいなら最初からそう言えばいいのに!」

 イーグルは酒のグラスを持ってカウンターから立ち上がる。

「もうベッド使っていいんでしょ?眠いし寝るわ~。ダーリンたちはまた明日ね~」

 女たちの残念そうな声に後ろ髪引かれることなく、イーグルは颯爽と2階へ上がっていった。

「……なんだか大事になっちまって、すまねぇな」大男はアールグレイに何度も頭を下げた。

「いやいいんだ、困っているときはお互い様だ」

「そんなセリフ、フツーにいう人初めて見た」

 子供がくすくすっと笑うと、大男がこら、とたしなめた。

「改めて、2人とも名前は?」

「俺はジャック」

「僕はエドワードだよ!」

「……ん、僕……?」

 踊り子を思わせる布地の少ないドレスと、肩まで伸びる黒髪と、長いまつげで完全にその場にいた全員が勘違いをしていたが、その子供は――少年だった。

「えへ、よく言われるんだけど。正真正銘男の子でーす!あと、ジャックとは付き合ってるから!盗ろうなんて思わないでね!」

「え、ええええーーーっ!?」

 かくしてここ"蝶の羽ばたき亭"に、新たな冒険者一行が誕生したのだった――。

 

 町の人間がみんなあの宿の噂をする。

――蝶のはばたき亭では奇跡が起きる。

 今日もまた、ひとつの奇跡が……。

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