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 目覚めは最悪だった。
 重い目蓋を懸命に押し上げ、身体を起こすと、身体の節々が不自然に痛む。望の身体は寝室のベッドではなくリビングのソファーの上に投げ出されていた。判然としない意識の中、大きな窓から差し込む強い日差しが染みてに目を背ける。
 ふと目に入った時計の時刻表示をようやく認識すると、望はあわててソファーから飛び降りた。洗面所へ飛び込み、皺だらけの制服を着ている鏡の中の自分に再び狼狽して、思わず呻く。慌てて予備の制服に着替えて家を飛び出した。
 
「あっ、すみません」
 がくりと首が落ちて、その拍子に参考書が手から滑り落ちてしまった。前の座席のサラリーマンは、足元に落ちた参考書を拾い上げ、無言で望に突き返した。すみません、ともう一度軽く頭を下げて、望は吊り革をしっかりと握りなおす。
 睡魔が増すばかりの参考書は鞄にしまって、外の風景を眺めることにした。しかしリニアモーターの静かな空間は、意識を手放すように望を誘惑する。溶けるような意識の中に、今朝の違和感が蘇る。漫然と、不思議な光景が頭に浮かんできた――メモリーカード、夜の学校、子供の影のようなもの……。
(いけない、しっかりしないと)
 首を小さく振って、何度も瞬きする。目を力いっぱい大きく見開いて、外の景色を眺めた。
 ちょうどトンネルを抜けたらしい。目の前の大きな窓には、都市のシンボルである巨大な"塔"が現れた。望はハッとして塔を見つめる。住宅地の屋根より上を走るこの電車からは、塔の姿がよく見えた。
 "塔"はこの都市のシンボルであり、同時に日本の科学力の象徴でもある。日本中の名だたる科学者が集い、日夜最先端の研究をしている場所。"天才"のみが入ることを許される、望の憧れの場所――。
(夢を見ている暇なんかないわ)
 望は強く目を擦り、塔を見据えた。負けず嫌いの目には闘志が燃えていた。
 一方で今朝身の周りに感じた違和感をまだ覚えていたが、考えるだけ無駄だと、忘れることにした。


 昇降口で靴を履きかえていると、校内が騒然としているのに気が付く。廊下に出て騒がしい方へと目をやると、どうやら突き当りに人が集まっている。教室とは反対方向だったが、望は何気なく人混みの方へ足を向けた。
「――っ!?」
 近づくにつれ、生徒たちを騒がせているものの正体が明らかになり、望は思わず驚きの声を漏らした。
 人だかりの向こうにあったものは、"蜘蛛の巣状にヒビ割れた窓"だった。望にはなぜかそれがひどく見覚えがあるものに感じた。そして頭がただちにヒビの正体を導き出す。「これは銃弾によって割れたものだ」――さも知っていたかのように、頭が答えをはじき出す。
(どうして?私はこれを初めて見たはず……)
 声に出さず、一人混乱する。そのうち、自分は何か大きなことを忘れているような気分になる。後ずさった時に、脚の筋肉がわずかに痛んだ。

「相田さん!」

 背後から声をかけられ、驚いて飛び跳ねそうになったが、悟られまいと必死に無表情を装った。振り返ると、暗い雰囲気の少女が息を切らしていた。どうやら望の姿を見つけて駆けつけてきたらしい。
「あなたは、えーと確か、岡崎さん?」
「そう!……よかった、覚えてもらえた」
 望の葛藤などつゆ知らず、少女は嬉しそうに顔をほころばせる。それどころじゃない、とため息をついて望は顔を逸らす。
「相田さんも、これを見に来たんだね……」
 瑠都は不思議そうに首を傾げ、割れた窓を見つめる。
「不思議だよね……。昨日はこんなヒビなかったのに……。朝、登校してきた生徒の1人が見つけてこの騒ぎみたい」
「そうなの」
 平静を装って相槌を返すものの、望は未だ混乱したままであった。どうして自分はこれに見覚えがあるのか。そういえば朝起きた時不自然に感じたあの状況は何だったのか、それが関係するのではないか。そもそも私は昨日一度帰宅した後、もう一度学校を訪れなかったか――?
「相田さんはどう思う?」
「えっ?え、ええ」
 混乱する頭で考えた。問題の窓に目をやる。ヒビ自体は硬いものでもぶつければ、誰にでもつけられそうなものだ。
「昨日の遅くに、誰かが石でもぶつけたんじゃないかしら?もしくは今朝に」
「でも、この学校には防犯プログラムがあるから、無理なんじゃないかなあ……。いつもなら窓が割れた瞬間に、アラームが鳴って防犯会社の人が来るでしょ?」
 そうだった、望は頭を抱える。
 この学校には24時間対応する防犯プログラムが仕込まれていて、基本的にはいつでも校内で起こった異変に対応できるようになっている。22時以降の施錠はこのプログラムの一つに過ぎない。窓ガラスにもセンサーが仕込んであって、本来ならば割れた瞬間に非常アラームが鳴り、防犯会社が駆けつける仕組みになっている。以前生徒がふざけてうっかり窓ガラスを割ってしまい、授業中にも関わらずアラームが鳴り響く騒ぎがあった。
 過剰と思われるかもしれないが、この学校には教師がいない。ゆえに大人も数えるほどしか存在しないのだ。子供を守るためには仕方がないのだろう。
 この窓が割れた時もしかるべき流れがあるはずなのだ、――本来ならば。
「でもね、事務の人が問い合わせても、防犯会社の人は何も聞いてないって」
「防犯カメラの映像は?」
「それが影像がないんだって。データ自体が消えちゃってるみたい」
 望は首をかしげる。いったい何が起こったのか不思議に思うと同時に、"私は知っている"という感覚が押し寄せてくる。睡眠不足のせいかじわじわ頭痛がしてきた。
「相田さん、私ね」
 瑠都が真剣なまなざしで望を見つめて言った。
「私ね、これ、悪霊の仕業だと思うの」
――あくりょう。
 混濁する頭の中に、その言葉だけがはっきりと聞こえた。次の瞬間、ぞくりと激しい悪寒に襲われる。
(なんなの、これ?)
 悪寒とともに、今まで頭の中で判然としていたものが一気に形を帯びていった。暗い校舎、銃声、メモリーカード、廊下を走る自分の視界――断片的にではあるが明らかになってくる。
「この学校、墓地を埋め立てて作られたんだって……しってた?」
 興奮気味に話す少女は、望の苦悶の表情はおろか、「悪霊」という言葉を気味悪がる周りの生徒の視線にも気が付かない。
「私どうしてもこういう話が好きで……調べちゃったの。そしたらたどり着いたんだ、この学校はお墓の上に建ってるんだってこと。だから今日のこの不思議な現象は、お墓を潰された魂たちが、恨みのせいで悪霊になって出てきて起こしたんじゃないかって……」
 この女は何を言っているんだと、望は不気味に思った。しかし瑠都の声は頭の中に反響して、頭の中に具体的な"悪霊"を思い描いていた。四足歩行で、廊下いっぱいの大きさのの化け物。それから逃げる恐怖がどっと湧き上がってくる。それでもその瞬間が何なのかはっきり思い出すことができない。そんな自分の状態こそ、不気味に思わざるを得なかった。頭痛はひどくなる一方で、体中を冷汗が伝っていた。
「お墓だから、きっとたくさんの魂がいたと思うの。それが勝手に自分の居場所を奪われちゃって、きっとすごく怒ってるんだよ。今はガラスが割れる程度で済んでるけど、きっとこの先もっと怖いことが……」
「もうやめて!!」
 ひっ、と小さく声をあげて瑠都は黙った。同じように周囲も静まり返る。瑠都は恐る恐る望の表情を伺う。頭を抱えて息を荒げる望の姿に驚いた様子で、心配そうに手を伸ばす。
「もううんざりよ!」
 我慢の限界だった。望はその手を振り払う。
「何が悪霊よ、何が魂よ、頭おかしいんじゃないの?そんなものいるわけない!私を妙なことに巻き込まないで!その変な話をするなら、二度と私に近付かないで!!」
 相手の顔を見ないように望は走り去る。そうでなくても自分のことで頭がいっぱいだった。頭痛は激しさを増していた。

 人だかりから少し離れた場所から、騒ぎを傍観する少女たちがいた。
「なぁに、あれ」
「やっぱりキチガイにはキチガイがお似合いよね」
 クスクスと笑いあう取り巻きを無視して、妃かなめは走り去る望の姿をじっと見つめていた。持っていたロリポップを口に放り込むと、携帯電話を取り出して、慣れた手つきで何かを打ち始める。


 朝の一件のせいだろう、瑠都は余所余所しくなり望に近寄ってこなくなった。少し罪悪感が残るものの、正直なところ安心していた。彼女の酔狂な発言に振り回されたくないのは本心だった。
 自分の席について授業を受けているうち、望は昨日のことを少しずつ思い出していた。帰宅した後、なぜかメモリーカードがなくなっていることに気がついて、防犯ロックがかかる前にとりに行こうと焦って飛び出したことは覚えている。それから先はよく覚えていないが、メモリーカードは今自分のもとにある。
(取りに戻って疲れてそのまま寝てしまったのかしら)
 そんなことを考えていると、講義終了のチャイムが鳴った。動画を止めてヘッドセットを外し、メモリーカードを取り出し一息つく。
(そもそもどうして置いて帰ったりなんか……)
 椅子にだらりと身体を預けてメモリーカードを見つめていたが、ふと視線を感じて顔を上げた。視線の先には二人の少女、顔を見合わせてクスクスと笑っている。妃かなめの取り巻きだった。
(ああ、そうか)
 望は眉を顰めて1人納得した。あいつらならあり得るかもしれない。そういえば私は昨日、昇降口で彼女らと会っているではないか。その際にどうにかして私の鞄からメモリーカードをスリ取ったに違いない……。望が思案に暮れていた時だった。
「ねえ!アンタさあ」
 背後から聞こえてきた妙に大きな声に思わず身体がビクリと跳ねた。眉を顰めたまま振り返ると、金髪の少女が望を見下ろしていた。
「今日の放課後、裏門のとこまで来な」
 楽しげな声が、何か企んでいる様子と明らかに反していて不気味だった。なんとなく望は危機を察知して、かなめを睨み付ける。
「私にはそんな暇ないのだけれど」
「いや、絶対逃がさないから」
 かなめは腰をかがめて望に顔を近づけ、にんまりと笑う。望は一瞬ひるんだが、負けじと睨み返す。
「放課後、楽しみにしといて」
 あはは、と楽しそうに笑ってかなめは去っていった。距離的には聞こえるはずのない取り巻きの笑い声が聞こえる気がした。
 こういったことに巻き込まれないように、なるべく目立たないようにしてきたつもりだったが、そう上手くはいかないらしい。望は思わず重いため息をついた。
 覚悟を決めねばならないと思った。

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